研究日誌です。主に愚痴です。

3月28日(金)
 研究日誌じゃないんだけど、更新していないとこのページの存在が消えるから、なんてことない日々の記録をば。
 今日は4月からの社会人生活のためにスーツを買った。しかしお金がなかった。そう!皆さんは気づいているだろうか?社会人になっても最初の給料日までは親に養ってもらわないと生きていけないのだ。日雇いではないのだ。
 このままでは少し堕落気味だ。4月にトップギアになれないぞ。がんばれあきら!!

3月14日(金)
 また来てしまった。もうとっくに終わっているハズだった。のに!やりたいことだってあるんだ。内容は中途半端だけど終わりにした。研究って大変だって事がよくわかった。お付き合いが難しいこともよくわかった。人間は理論だけじゃないね。あんなに理論を重視する人でもこんなにお付き合いが下手なんだから。よくわかった。一番大事なのはバランスなんだ。一つのことに夢中になったら幸せはやってこない。うん、こんな滅茶苦茶な一年があったっていいだろう。

3月13日(木)
 山形蔵王。

3月12日(水)
 宮城蔵王。

3月11日(火)
 終わらせると言っていたくせに来た。まったくもう。そしてまだ終わらない。
 16時に帰ってやいこのライブに行く。ちょっとお疲れだったのでもったいなかったかな。

3月10日(月)
 11時に研究室に出勤。天気がいいのでM井君がフィーバーしていた。今日が最後の、或る意味ではチャンス。まとめ作業をやる。だけど今日は研究に集中できない。いかんのう。サボりすぎたよ。

3月9日(日)
 研究室には朝から行くつもりだったけどちょっとほうけていたのでいかなかった。ごめんねM井君。

3月8日(土)
 研究室はお休み。昼ご飯はラーメンを北京で食べてから柏崎を出る。郡山についたのは16時20分。そういえば今日はあきらさんの誕生日。みんなにお祝いメールを頂いた。感謝じゃ。

3月7日(金)
 研究室はお休み。夜が明ける頃実家に向けて帰る。テレビとか衣類とかをめいっぱいスターレットに乗せて。高速道路の居眠り運転はやめよう。免許の更新をする。髪の毛をきる。ケーキを食う。

3月6日(木)
 お昼過ぎに来た。飯食ったらやる気がゼロな事に気付く。N田先生に「ここまで結果を出さなければ俺は認めない」と言われたところまで出来ていない。言われた時期が遅かったので、(俺の卒研テーマが一年間でコロコロと4種類を与えられたのだがその4つ目のテーマは12月の終わりだったように思う)与えられたときから「時間的に厳しい」というのはわかっていた。だから仕方ないと言うのはなんだか情けないが、今回のテーマは本当に手強い。3番目のテーマを削ってやったら調度良かった。俺の失敗は研究テーマの下調べ不足とテーマ決定権の獲得を怠ったこと。失敗してしまったのは取り戻せない。途中でもまとめなければ今までやったことすら無駄になってしまう。別に先生の定めたノルマを気にすることはない。大抵いつも無理難題を言うのだから。自分のペースでまとめることに決めた。しかももうそれをやるだけしか時間が残ってない。
 まとめ始めた。ここで意外に俺はまとめながら進めてきたなと言うことに気付いた。かなりらくちん。パソコンに入っているデータを目次を付けてCDに焼けばお終い。3日あれば終わるという目途が立つ。
 夕飯頃かえる。実家に帰らなきゃと、引っ越しの準備をしなきゃと、言いつつ・・・。

3月5日(水)
 悪魔は去った。しかし、勇者達の冒険が終わったわけではない。悪魔が去ってからが本当の冒険の始まりだ。この冒険は自分で終わらせなければならない。いつでも終われるけど、決めなければならない。今度こそ誰のためでもない。自分のために時間を使うのだ。一週間も残ってないけど、自分の研究をしよう。
 といっても、邪魔が入らないだけで、やってることは変わらない。今日もせっせとオシロスコープを眺めてため息をついていたのであった・・・。

3月4日(火)
 早朝6時にUッチーに起こされて研究室に来る。今日はN田先生が出国する。空港まで送っていくことになっていた。バイト代は昨日の昼飯になったからもう断れない。13時半発の飛行機に乗るためには11時半に空港に着かねばならなかった。そのためには9時に研究室を出なければならなかった。
 いつものことでなんだかんだしていたら出発は9時50分に。50分後れを取り戻すべく高速をとばしていたら福島で通行止めになっているではないか。強制的に高速を降ろされて、車では間に合わないので新幹線にN田を突っ込む。空港でしんみりお別れかと思ったら、最後までばたばたと落ち着かなかった。N田らしい。
 こうして悪魔は去った。研究室には平和が訪れたのであった。

3月2日(日)
 14時半に来る。いっぱい寝過ぎて(?)腰が痛い。ほんとに腰が痛い。今日はとにかく眠い。夕飯食ってからずっと半ばレム睡眠。油断するとノンレム睡眠。レム睡眠とは眼球急速運動(rapid eyes movement:REM)状態での睡眠という意味。
 朝を迎え、先生を起こす。200万の予算が降りるかどうかというプレゼンテーションがあった。
 昼飯にカップラーメンを食べたら、その直後に先生がウナギ食いに行こうと言う。今日は昼飯を二回食った。1900円のウナギはカップラーメンとは別腹でぺろっとたいらげた。駅前のHISを2往復したり、なんかやっているうちに夕方になった。42時半に帰る。わかりにくいな。3月3日(月)の18時半に帰ったと言うこと。

3月1日(土)
 10時くらいに来る。二和さんに教えてもらった電子回路を作るために材料を探す。無い物はヤマト無線に買いに走る。しかし動かない。なんで?だってまんまだよ。もうしらん。・・・では済まない。けど26時に帰る。

2月28日(金)
 先生は今日も東京で仕事があるので学生達は先生の車で先に帰ることになっていた。昨日先生が車を持って帰ったので今朝受け渡す手はずになっていた。集合は工芸大に10時。10時ちょっと前に電話したら今から朝ご飯だからどっかでゆっくりしていてくれとのこと。あれ?ごめんなさいが聞こえないよ。
 工芸大の学食で晴れのちグゥを見る。何話見たことか。待ちくたびれて11時半頃、ようやく着いたと。次は東京まで送ってくれとのこと。ま、いいか。
 東京の渋谷駅で落としてドライバーはM井君に交代。首都高に乗るまで2時間かかった。乗ったらすぐ反対方向に回ったし、トイレに行きたいE部君は大変だった。
 研究室に着いたのは19時。メールチェックして帰る。

2月27日(木)
 朝ご飯が予定の8時半より1時間も早く準備されて放送で呼び出された。気分悪い。晴れのちグゥを見て9時に宿をでる。一路工芸大に向かう。
 N田「M井、集合場所はどこなんや。なんで調べておかんのや。」
 M井「(おまえはなんで知らないんだよ。)・・・・。」
 結局看板出ていた。無事集合して工芸大見学ツアー。風工学なるものがはやっていて、風洞と呼ばれる部屋に巨大扇風機で風を流していた。16m/sの風を浴びた。斜めにならないと立ってられない。面白い。
 M井先生の研究室にカメラのついているロボットがいた。ついてきて地図を描くらしい。すごい。
 電気自動車があった。GIRASOL1号。
 昼食は工芸大の学食。こんな閑散とした時期にかなりのメニューがあった。日大の3倍以上あった。ラーメン食った。味はどこもこんなもんかと泣いた。
 飯後に電気自動車試乗会をやった。ここで乗ったら目立ってしまうので、乗りたかったけど我慢した。N田君はバッチリ目立っていた。殴りたいくらいの素敵な笑顔だったらしい。
 午後はパワエレ道場のメインの発表会。一人一件、質問しなかったら歩いて帰れよ。と言っている人がいた。質問してみた。
 後ろに誰が座っていたか忘れたけどいびきが聞こえた。よね?M井君。
 そしていよいよ本当のメインの懇親会。タダ酒。タダ飯。他の大学の学生、先生、企業の人と話せてかなり有意義だった。いいイベントだ。2時間くらい飲んでバスで宿に。昨日と違ってビジネスホテル。
 久々に解放されて遊びに出た。とあるカラオケ屋に入ったらそこはボーリングもできるようになっていた。ボーリングをやっている悪魔がいた。取り憑かれたら大変なので一目散に逃げ出した。
 悪魔のいないカラオケ屋で2時間歌った。いつぶりの楽しい時間だっただろう。
 ホテルに24時半頃帰り着いてあっという間に落ちた。

2月26日(水)
 朝9時に神奈川の厚木に向けて出発する予定だった。けど、もう10時半か。宿には夕飯前に着きたいな。
 那須に着いたのは15時頃。Uッチーが先発部隊で待機していた。テレビもないN田家でひとり寂しく新聞を読んでいたらしい。
 二和さんに着いたのは17時半頃。今回はI川さんも登場。スケジュールが押しているにもかかわらず・・・。ブレーカーをもらって車に入りきらない。こんなにいらないよ。一生分だそうだ。一生パワエレやるんですね。一生あのままなんですね。残ったら棺桶に。
 宿はM井君が予約してくれた。厚木も駅前はそこそこ栄えていたが、宿は山奥。「猪」とか言う旗がはためいていた。Uッチー曰く「いのき」だそうだ。そりゃM井君も怒るよ。いのきは食えない。
 飯にありついたのは21時半。鹿?猪?鍋を食う。うまいもんじゃない。
 風呂は一応温泉で売り文句が3つあったのに、何故か「W効果」と書いてあった。意味知らないのかな。それともワンダフル効果の略だったのか。
 飯の時も風呂の時も、徹夜で今から研究するんだろ。と言っている人がいた。全く無視。問題にならない。
 寝たのは24時くらい。

2月25日(火)
 研究室には21時・・の予定だったが、M井君と飯食って22時頃来た。それからぐうたらして、電子回路やっぱり予想通りにはいかないなと嘆く。なんでー?やるきがないから?ならしかたないか。
 明け方28時頃になって先生が来て論文のお手伝いをやる。はーあ。26日に続く。

2月24日(月)
 早朝、ルパンの余韻を残しながら研究室に来る。4時である。なんという健康的な。
 先生の論文のお手伝いに時間を奪われる。手伝ってもらってるくせになんと偉そうな態度。
 ある時ふとひっかかっていた骨がとれた。
 それはCanonのプリンターの修理が終わって返ってきたことでわかった。
 修理の明細には修理代が書いてあるのに支払い方法の指定がない。振込先が書いてない。これではどこに払えばいいのかわからない。先生曰く「あっちから連絡有るまでしらんぷりしていればいいよ。」俺は向こうの人のミスかなと思って電話しようとしていたから驚いた。払わなくて良いはずがない。そんな気分の晴れないことはない。多分、普通の人なら払うべき物を払わないでいたら悪いことをしているようで気持ちが落ち着かないと思う。この人にはその感覚がないらしい。今までずっと引っかかっていた骨はこれだったのだ。彼はお金を払う事に責任意識がない。だからこの人と一緒にいるといちいち気分が悪いんだ。借りたら返す意識をもってほしい。
 お金だけじゃない。口は達者だが自己の能力のなさを隠すだけで、責任を果たすことは苦手らしい。
 ようやくはっきりした。なんで嫌いなのか。力強く矛盾しているから嫌いなんだ。偉ぶって人に説教しなければ致命傷には至らなかっただろう。自分で出来ないことを他人に説教したらいやがられるに決まっている。その傷は彼を死に追いやってしまった。死人に口なし、は嘘だった。N田に口あり、である。
 ようやく電子回路の目途がたって完成した!と思ったら積分器が飽和しちゃって動いてくれない。
 朝ご飯食って帰ったのは33時。今朝は4時から来たから29時間か。あっという間だったな。自分の仕事などろくに出来なかった。

2月23日(日)
 起きたら26時。ルパンを見て研究室に向かう。

2月22日(土)
 偉い遅く来た。午後は日も暮れた21時。先生は過労死するまで頑張ったらしく(初めから生きちゃいないが)、まだ研究室にいた。しかし研究室で寝るという一番迷惑なパターンである。なぜ迷惑か?
 先生が研究室にいながらにして元気を取り戻してしまうから。
 人に仕事を頼みっぱなしで寝るから。
 起きたとき無意味に不機嫌だから。
 などなど。自慢の先生である。
 パワエレ道場で研究室のノウハウ自慢大会の日大代表になった。目指せ金メダル。
 先生は朝方帰っていく。Uッチーも同じタイミングで帰る。一人残されて寂しく電子回路を作っていた。動かないのでいやんなった。お腹も減ったので飯を食うことにした。一人で吉野家も切ないから誰かを誘おう。しかしこんな時間に誰誘おう。夜遅くまで忙しいと高名なO股研の人に声を掛けたが返信無し。やはり時既に遅し。ここで朗報が。物質化学工学科の友達がつかまった。朝飯のつもりが昼飯の時間になった。朝早くに研究室に出勤したM井君から電話が・・・。そういえば、実験を引き継いでいなかった。電話だとなかなか分かりづらい。研究室に行けばよいのにとは、夢にも思わなかった。悪夢になら出てきたかも。
 そのまま研究室には戻らずに帰って寝る。就寝は38時。

2月21日(金)
 朝5時半に出勤。M井君と朝飯を食う。吉野家。
 来なきゃ良いのに先生が17時頃来る。なんか言ってた。邪魔しないでほしいものだ。例え研究に区切りがつかなくてもあの人に答えを教えて欲しくない。
 ひどく屈辱的だ。でも、理由はない。工学では正しい物は正しいと、それは認めるから、彼から教わるのが嫌な理由はない。
 嫌なのは彼の存在。生き方。それが否だから正しいことすら知りたくないと思う。子供のような言い訳だが、この研究室にいる人なら120%理解してくれるから、まんざら間違いでも無かろう。さて、それでいて、研究のテーマは彼が一番熟知した物なのだからお笑いだ。研究が進むはずがない。知りたくないと思うのに、進むはずがない。彼に貢献したくないと思うのに、進むはずがない。
 彼に何かを言われるたびに萎える。知識に対する欲が萎える。人間の見にくい部分の可能性を引き出させられる。無限の可能性だとはまだ思いたくないのに。嫌い。
 帰ろうとしたらまた始まった。寝ようなんて考えるな!責任を感じていたら過労死するまで働くんじゃないのか!社会にでたらごめんなさいじゃすまないんだぞ!だそうです。
 それは違います。死ぬまでやったら意味がありません。会社という不思議な集団に所属したって、果たせない仕事に責任を感じて死ぬのはもったいない。仕事に人生を懸けるのと、仕事に人生を奪われるのを一緒にしてはいかん。
 意志を持てよN田Y幸。あなたは本当に仕事に人生を懸けているだけか?奪われてはいませんか?あなたには家族の愛も、同僚との友情も、学生からの崇拝も、何ひとつないから研究で満足しているように錯覚しているのではありませんか?自分をごまかしているのではありませんか?
 まさか正面切っては言わないけど、可能性大。ホントに嫌われてる。それがあなたの言うエンジニアなら俺はとても耐えられないよ。
 あなたのせいで迷っている。悪い事じゃないけど、迷っている。進んで良いのか?進みすぎるとあなたのようになるのか?それとも正しく進みすぎればあなたのようにならずにはすむのか?世の中にまともなエンジニアはいるのか?
 N田の周りには残念ながら、似たような人が集まっている。N田と楽しくお話が出来る人が集まっている。一見まともそうなのに、12時間ルールを聞いても笑ってる。死んでいるN田を生きている人のように扱っている。ごめん、俺にはできない。

2月20日(木)
 昨日の研究室が16時に終わって、遊んで21時に寝た。起きたら29時だった。

2月19日(水)
 どうも腰が痛い。肩もいやに凝る。電子回路を作るのに力が入りすぎているらしい。慣れてないからな。そして、結局ここ3日かけた電子回路は廃棄処分になる。わからない。このままでは予定の2月中には終わらないことだけはわかる。決めるのは終わらせるか、終わらせるか。だ。
 さて、朝が来た。廃棄処分になりそうだった一つの電子回路は分解して再利用しようとしたが、『どこか』が壊れていて動かない。5時間無駄にした。
 しかたなく、またゼロから作ることになった。いつになったら実験が始められるのだろう・・・。
 どうも実験が始まらないのは無能な彼のせいらしい。彼は一生懸命やっているつもりでもなかなか学ばなければならないことも多く、進まないのだ。
 そんな彼は先生のお買い物に付き合ったから40時にアミパに帰宅。

2月18日(火)
 そんなわけで夜は19時半に来た。えらいこっちゃ。狂ってきた。人間らしい生活をしていないことなどお構いなしに研究は進んでいく。やはり人間らしい度と研究進む度は反比例するのか?認めたくないものだ。
 朝の日がまぶしい。帰ったのは32時半。昨日より更に狂う。まだ元気だからラーメン食ってまた研究室来ようとか言っていた人もいたが、ラーメン食ったら眠くなったので帰ることにした。らしい。

2月17日(月)
 11時頃来る。月曜日からなんたる様だ。とは思わない。日曜を休まないと月曜日も週の真ん中気分が味わえる。この先しばらく週の真ん中が続くのか。
 今日はパワエレ道場の宿を調べてヤマト無線に買い物に行って、家庭教師に行くと言ったら怒られて、帰ってきたらヤツがいなかったからしばらく遊んで。
 しかししかし、やらにゃ終わらないんだ!と意気消沈して電子回路を作り始めた。めんどくさいと思うな。Uッチーは回路が動いているのに・・・。俺は何をやっているんだ。未だ制御回路を作れずにいる。はぁ・・・。もっと勉強しなきゃな。
 積分器、キャパシタを短絡させたらきれいにのこぎり波出るかなぁ。シミュレーションで適当にやったらできたってので作り始めて良かったのかな。
 先生はやはり、予想通りの行動をとった。昼に帰ると言ったのに夜のお昼を過ぎてもう3時間が経過した。15時間も鯖読んでるぞ。100歳のおばあちゃんが「二十歳です」って言うようなもんだ。
 電子回路を作っていたら31時になった。

2月16日(日)
 ついに日曜出勤が実現。まぁいいさ。あとちょっとだもん。
 シミュレーションではうまく動くのに・・・。実際作ると動かない・・・。狙っているのに・・・当たらない!
 23時に帰る。

2月15日(土)
 15時に来る。主回路のシミュレーション検討に見切りを付けてのこぎり波をつくらにゃならん。N田先生曰く「シミュレーション結果だけじゃダメだ。実験結果もなきゃ許さんからな」
 待て待て。あんたの研究じゃない。許すも許さないもない。俺の研究だから結果だって俺のもんだ。あんたにくれるなんて言ってないぞ。見せる義務があるのか?ってくらいだ。普通なら指導してもらったんだし、基本的に先生の考えた回路だし、先生に還元するだろう。ここは普通じゃない。普通じゃないのだから常識は必要ない。毒をもって毒を制しましょう。指導?ああ、雑用のことか。雑用の結果はちゃんと還元しているよ。いいだろう?
 帰ったのは26時。

2月14日(金)
 ほんとは11時に来たかった。けど来たら12時半だった。うわぁーい。
 先生も来ないと言っていたが来た。予定とは狂うモノ。希望とは儚いモノ。
 ところが今日は一日やる気に満ちていたのだった。珍しい。チャンス。卒研を今日で終わらせるべし!そんな勢いでやるべし!
 25時になってもやる気は萎えず。俺は誰だ?
 チョコもらったから元気になったのかな??単純〜♪

2月13日(木)
 さすがに起きた。のに二度寝した。M井君の電話で起きる。やばいよ、と。今日の悪魔は来いって言ってるよって。
 30分遅刻で来る。元気元気。先生は徹夜したらしい。すぐ帰っていった。ぐふふ。
 しかし俺のやっているのは研究じゃない。このところとてもじゃないが研究と呼べる物をやっていない。ただ無駄に時間を使っているだけ。慢性的に研究室で手を抜くのに慣れてしまった。時間を縛れば人はそうなるのだろう。最低12時間やればいい。そんなのは内容を薄くするだけだ。結局は中身なのだから時間で縛ってはいけない。時間で縛れば時間に甘えるのだ。時間を使うのが最終目的ではないのだから、時間で決めてはいけない。
 ところが世の中は時間で動く。アルバイトだって「時給」だ。本当にそうか?

2月12日(水)
 あれ?もうお昼だ?しまった、寝過ごした。あんなに寝たのに寝過ごした。もう遅刻のレベルではない。これは悪魔の誘惑か?
悪魔「あと一日くらい休んだっていいじゃない。」
あきら「そうはいくか!ただでさえ研究が遅れているんだ!・・・Zz」

2月11日(火)
 気が付けば明るい。おかしいぞ?昨日はお昼過ぎに寝て、たっぷり寝た気がするから今は午前の早いほうのハズ。時計は2時。
 ・・・2時!?
 午前2時の明るさではない。認めたくはないが、24時間寝たらしい。びっっくりした。飯も食わず、体調がよくなるわけがない。フランフランになりながらセブンに買い物に行った。お腹はぺこぺこだったので沢山買い込んだ。  せっかくお腹の調子が悪いからと買ってきたのにおかゆを作る(鍋で温めるだけ)元気が無くて、サンドイッチから食べ始めた。うまひ。
 元気になったのでまた寝た。明日は研究室に行けそうだとメールを打った。

2月10日(月)
 午前10時に登校。いつも通り先生はいない。と、思ったら3時間遅刻くらいで来た。珍しい!
 飯を食っても元気がない。どうしたことか?うーん、どうも睡眠不足だ。加えてお腹を冷やしてしまったらしい。寝るときはフトンを掛けて寝よう。
 とても研究にはならない。ので帰ることに。むぎゅぅ。ダウンしたのは14時くらい。

2月9日(日)
 予想外のお休み。コレと言って予定も無し。ただ、体が不完全燃焼。

2月8日(土)
 M井君と二人で会場の準備係をする。要項の配布係。原稿が出来ていないのに1時間もとられる。そのあとは手直しをする時間もなく発表に。緊張のせいなのか寝不足のせいなのか、舌っ足らずになりつつも堂々たる発表であった。
 座長はN田先生で会場から質疑が無かったため質疑無し。先生がコメントをしてお終い。つまらん。こんなの発表といえない。ま、いいや。
 N田研の発表は四件でS木さんに始まり、Uっちー、E部、締めはM井君。極めて妥当な順番といえる。M井君だけは最後に質問を受けていた。電流とインダクタンスの関係は?というかなり難しい質問。代わって先生が答えたのだが助けられた村井君の一言、「悪魔が天使に見えた。」なるほど。
 その後、解散になり飯は豪華に回る寿司。午後からO股研の発表を聞いた。が、眠くて落ち気味だった。質問してやろうと思ったが、難しかったし、先生方が真剣だったからできなかった(やや言い訳か。)帰って寝たら17時だった。アーメン。

2月7日(金)
 引き続き発表の準備をする。午後くらいには先生がみたいと思っていたらしいが、午後に出勤する。結局先生に見せたのは27時をまわっていた。ダメ出しの嵐かと思いきや、そうでもない。うむうむ。予想に反して徹夜で発表に挑むことに。

2月6日(木)
 今日から卒研発表のパワーポイントを作り始める。発表はあさってである。すでに追い込まれている。いつ先生に見せるんだ?と聞かれてもまさか見せる気はないとは言えず。それでも作る物は作らねば。予稿はすでにあるんだ。簡単な話さと思ったらそうでもない。しゃべるには練習が必要であることが判明した。8分にうまく収めなければならない。短すぎても長すぎてもいけない。難しい。

2月5日(水)
 15時頃来る。昨日のスキャンの続きをやる。善意でやってあげている雑用でも出来が悪いと彼は怒る。勘違いしている。
 オペアンプってなに?尾○研のエースに聞いてみようか?
 N田先生は今日こそ帰っていった。やはり俺が来たときから「あかん。今日は帰るわ。」を連発しつつ、22時に帰る。ぬか喜びが本喜びに変わる。あのM井君の笑顔!今日オープンしたミニストップにゼミ生含め6人で行く。ハムカツ玉子サンドうまい!50円引きが生意気にもうまい!解散は25時頃。

2月4日(火)
 12時に来る。久々にN田先生に会う。やっぱりM井君は盲腸だった。Uッチーは胃腸炎。先生はアルツハイマー症候群。N村さんはねんざ。E部は天才。みんな疲れているんだな・・・。
 電子回路もうずっとやってる。動かない。ちゃんと理解しよう。日々勉強だ。
 先生は来たときから具合が悪そうで、「もうあかん、帰るわ」を連発しつつ、26時まで研究室に居続けた。帰ると言ってから14時間。このぬか喜びにもいい加減慣れた。
 で、帰るときに先生は車に鍵の閉じ込みをしてJAFを呼んだ。おじいちゃん、ご飯はさっき食べましたよ。

2月3日(月)
 みんな内蔵の調子が悪くて欠席。俺の今日の一日は、昼飯食って、研究室の灯油をもらいに行って、M井君を病院まで送って、カテキョに行って、M井君を迎えに行って、のこぎり波の回路を新たに作ったが動かないと嘆いて、それで終わり。わからん。なんで動かない?もう時間も無いというのに。24時頃解散。と言ってもN村さんと俺だけの解散。

2月2日(日)
 休み。スキーに行く。効率よく学ぶには適度に遊ばなければならない。朝8時に出て、裏磐梯N魔スキー場に到着したのが9時半。4時間券は2800円だったが、ICチケットは保証金が1000円かかるので3800円なければ買えない。Uっちーも俺もぎりぎりしか持っていなかったので買えないところだった。小銭をじゃらじゃらと1600円分も出した。いとあはれ。午後2時にはスキー場を出た。

2月1日(土)
 お昼に来たのかな?雑用ってやる気になるの難しい。
 のこぎり波発生回路はいつ出来るのか?23時に帰る。

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