ある日の叫びを載せてみたいなと、
ただそれだけです。


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もし子供が親を選べたら


生まれてくる子供は親を選べない。
これは子供が可哀想に見えるかもしれない。
人が生きていく中では友達や恋人を選ぶことができるが、親は選べない。

しかし人が人を選ぶなんて簡単じゃない。
自分で選ぶことは責任を伴う。
その選択が失敗だったら、後悔する。
相手への不満に加えて過去の自分への不満も生じる。

親もその昔誰かの子供でしかなかった。
だから子を持つことになる親はただの人の子で、親としての経験はゼロだ。
親の責任は親になった瞬間からしか発生しない。
少しずつしか親になれないのだ。完璧はない。

だとすればその親を子供が見極めることなどできまい。
親と子が互いにうまくいかなくても成長し続けられるために、選べないようになっているのだ。

2016年 親になって8年目の感想


日記のススメ


あきらのつれづれが10周年を迎えました。
もともとのきっかけは大学の頃のことです。
人付き合いが一気に広がって、出会いと別れも増えました。
イベントも目白押し。
とても楽しいけれど、ヒトの脳なんてそれほど沢山の出来事を覚えてはいられないことに気づきます。

ところで、大学に通うようになった私は一人暮らしを始めました。
自分で買い物をして料理をして、初めての経験でした。
お金はほぼ全て両親からの仕送りです。
今思えばなんと甘いか。
それでもその時は少しでもちゃんとしようと思って、家計簿をつけることにしました。
ムーミンの家計簿に1年間、1円単位で全てつけました。
ついでにちょっとした日々のメモも書きました。
これが紙ベースの日記の始まりです。

意外とこのメモ程度の日記は役に立ちました。
誰と飲んだとか、遊んだとか、忘れていたことを思い出せるのです。
もっとも、飲んだ時の記憶がなくなっている場合は手遅れでした。
ムーミンの家計簿が終わってからは大学ノートに日記を綴りました。
大学ノート3冊が現存しています。
暇だったんですね。
さらに時は進み、大学4年。
研究室に日がな居るようになり、研究しているふりをしてインターネットをやることもあります。
その無駄時間を使って自分のホームページを作ってみようと軽い気持ちであきらのつれづれは誕生しました。
紙ベースの日記から、電子データに変わりました。
タイピングソフト「ザク打」により記述速度の向上を図りました。
しかしこの時の研究日誌は酷いものです。
ほとんど愚痴とNしだ教授の悪口です。

そして今、10年書きためたつれづれを時々読み返して思うこと。
それは「非常に面白い」ということです。
10年前の自分などもはや別人です。
自分がやった事なのに、書いた事なのに、ほとんど忘れています。
文章が恥ずかしいほど稚拙なことも、別人の日記と思いたい心理が働きます。
消し去りたい過去をあえて思い出すという行為は胸を締め付けます。
しかしだから面白いのです。
大人になってから始めた日記なのに、案外と相当な変化が見られます。

さらに日記は役に立ちます。
あのイベントの時は誰が参加していたか、どんなことをやったのか。
もともとムーミンの家計簿で気をつけていた事「人の名前などをできるだけ書く」と言うやりかたは間違っていなかったと思います。
最近設置したgoogle提供の検索機能で携帯電話からでも検索できるようになっているので、
出先でも過去の出来事を思い出すことができます。
子供たちの成長もわかります。
忘れがちなお世話になった人への感謝の気持ちも思い出させてくれます。
忘れてはいけない、忘れたくない、そう思う事があるなら迷わず記録すべきです。

最後にもうひとつ、これは続けてこそですが生きた証になります。
私が死んだらあきらのつれづれを本にしてください。
向こうでも思い出せるように棺桶にも1冊入れてください。
この重要な任務はSいやくん、頼んだ。
あと50年くらいは生きるつもりですが・・・。
待てよ、だいたい10年分でも活字部分だけで2MBくらいあるんですけど、
2バイトで1文字だから1000000字くらいで・・・
400字詰め原稿用紙で2500枚。
それに写真も入れていくとなるとすでに1冊じゃ収まらない・・・。
50年後に本にしたら棺桶サイズを一回り大きくしないといけないかもしれませんね。
なんて思うと棺桶に入ることすら楽しみです。
私にとってつれづれはNしだへの悪口から人生における生きがいに昇華しました。
私は間違いなく死ぬまで続けます。
とにかく日記は本当におススメです。

おまけ
大学の頃のムーミンの家計簿とか日記とかをデータに起こしてつれづれにアップするという
やや危険な企画「プロジェクトR(リユース)」が始動しています。
大学の時の記録は個人的には面白いですが、勢いがありすぎて
アップするためにはかなり自主規制が必要です。
しかも私の記すE部流草書体は世界有数の難読文字なので解読に苦戦しています。
もし需要があればアップするかもしれないので、応援メッセージをください。

2012年10月20日 つれづれ10周年記念にて


RPGと私


小学校の頃ドラクエ3に出会いました。
確か2、3年生くらいだったと思います。
それまではスーパーマリオとか、グラディウスとか動きのあるゲームしか
知らなかったので、何をしたらいいのかわかりません。
町の人に話しかけて重要なメッセージを聞いても意味がわからず
時間だけはあったのでアリアハンでレベルを20くらいまであげていました。
ひとつ上の姉と一生懸命やっていたようです。
そのうちいざないの洞窟に魔法の玉をしかけ、
新しい町にいけるようになりました。
レベル上げ(成長を楽しむ)だけでなく
ストーリーを味わえるようになったのです。
特にラーミアを手に入れたときの感動はすさまじいものでした。
音楽もいい。
しばらく飛んでいました。

衝撃的な出会いは友達が持ってきたファイナルファンタジー4。
戦闘がリアルタイムで行われ、
しかもアニメーションの動きがあってかっこいい。
ファミコンで発売されたドラクエにくらべて
スーパーファミコンのFF4はすごい演出ができるようになったのです。
文字だけではストーリーはわかりにくいもの。
アニメーションがあるとずいぶん違う。

このあたりからゲーム性だけでなく
物語の占める割合が大きくなってきたように思います。
今はまるで映画のようなRPGが普通にありますが、
あのドラクエ3でさえオープニングは
大魔王バラモスを倒してまいれ!
でしたからね。

RPGの二つ目の遊び方としてやりこみがあります。
やりこみとはレベルをあげてラスボスを楽勝で倒すことに快感を覚えたり、
自分で禁止事項を作り、無理難題をクリアすることに快感を覚えることです。

私の場合どちらもほどほどでしたが、
中学生になってドラクエ3をしたときは
ロトの勇者は一人が基本だ、
とかいいながら勇者一人で冒険を始めました。

変化の杖で祈りの指輪を預かり所に満タンに買い込み、
やまたのおろちをギガデインで倒し、地獄の騎士の焼け付く息にひやひやしながらも
バラモスまで行きました。
しかしどうしてもバラモスが倒せません。
はんにゃのめんをかぶっても倒せません。

レベルは60になりました。4人パーティーならとっくにゾーマを倒しているレベルです。
ギガデインを連発しましたがバラモスは体力が回復していくのです。
勝つためには回復を行わずに4ターン程ギガデインを連発するHPが必要でした。
800くらいあれば勝てると思います。 しかし、ステータスの体力が255に近づくとレベルが上がってもHPは増えなくなります。 そう、そこで命の木の実の登場です。
いくつあればいいんだろう。50個くらいか。
結局あきらめたのですが
今もその冒険の書は残っています。
消えたかな。勇者の名前は「ひとりす」でした。

そんな私は今RPGを作っています。
衝撃の出会いは大学2年の頃。友人からRPGツクール3を借りました。
こんな面白いものがあるのかと、
RPGツクールのガイドブックも買いました。
作るのにガイドブックはいらないだろうと思う方、甘い。
活用率200%。イベントの作り方も参考になる。
構想を練るのと作るのとはまた違う。
しかししかし、もっとも活用したのはグラフィック集。
プレステのマップ表示は遅い。しかも縮尺が一定だから
全体を見渡せない。ざっくり考えたいときは縮小されたマップ集が役に立つ。
見ているだけで
「ここにイベントを配置して・・・、
画面のここに誰それが移動して・・、
エフェクトはこんな感じで・・・、」
どんどんできていく。
画面を睨んでいても出てこないものが出てくる。

ファンタジーが作りたくて初めはまねっ子で行くのが良いと、
ファイナルファンタジーベースでした。
製作には250時間くらいかかったと思います。
当時は死ぬほど時間があったのでそれなりにまとまりました。
世界観は今にして思うと適当です。




成長の話


 本を読んだ。社長が辞めれば会社はよくなるとかっていうタイトル。中身は具体的には会社に於いて社長がどんな人間であればよいのかという内容。読めば読むほどに会社と研究室がダブる。

 なかでも目にとまったのは、おごりとほこりは違うということ。ほこりとは、自分の運営方法で今までうまくやってきたという結果を高く評価する事で発生する。今までうまくやってきたんだから部下の浅はかな考えなど聞かなくともよいと思うのはおごりである。

 違うのは謙虚な心があるか、自分の成長性を考えているか、ということだ。つまり良いものは良いと認めて自分をもう一歩成長させられるかどうかが鍵になるわけだ。社長ともなると一番上に立っているものだから自分が一番優れていると勘違いしがちだ。全てが一番の人間もいないし、全てに於いて劣っている人間もいないのに。

 強いて劣っている人間をあげるのであれば劣っていることを認識しない人であろう。総合的な能力が1番でも劣っている部分を認めない人は、それを認めることができる総合的な能力が2番の人に比べて格段に劣っていると言える。悪い部分に気付かない人にその問題の解決策が持てるはずがない。すぐに逆転するに決まっている。

 社長に限らない。人は死ぬまで成長を続けるべきだ。成長を止めることが死だ。成長を続けることにほこりを持って死ぬまで生きていたい。


 
大人の話

 事の起こりはU山さん(テニスのインストラクター)のバイト先にタダでテニスをやろうという大作戦云々・・・。

 以前から思っていた事だが、大勢で遊ぶ時って必ず気の合わない人が出てきてしまうモノ。これを何とかして全員が楽しめるようにするにはどうするか?答えはないと思っていた。それが人間の個人差という大切な物だと思っていた。

 そんな折、U山さんの教え子(と言ってもU山さんよりふたつみっつ年上の方ばかり)の方々と遊ぶ機会があった。大人ってこんなに上手に人と付き合うのかと感動した。やはり人と付き合うって事は多少なりともウソ・・・とまでは言わないが、はっきり物を言わないことも必要なのかと思った。

 譲るべきところをところを譲ったり、言わなくてもいいことをただ言わないようにしたり、少し考えればその一言が相手を不愉快にさせると察することが出来ること、あるいは常日頃から考える事が大人の付き合い方ではないか?

 一概にだんまりが正しいとはもちろん言えない。これは時と場合によって使い分けなければならない。言うべきところで言わないのは、これはこれで信頼を得ることができないからだ。だからこそ使い分けているひとは大人であると思うのだ。

 ポエムは以上で終わり。ここからは愚痴である。

 もしこの基準が正しいとして、その点に於いてもN田さんは極めて子供だ。彼は言いたいことを包み隠さずストレートに言う・・・事しかできない。一度聞いてみたことがある。どうして自分の得にならないことを敢えて言うのか?と。

彼は精神衛生上言った方が気持ちいいと言う。なるほど子供である。

 しかし今一つの疑問がわき上がる。そんなに精神衛生を気遣っている彼の精神がどうして腐っているのかと。矛盾に気付かないあたりが腐り続けていられる秘訣なのか。


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